渡辺岳夫先生の事は今でも(感謝と共に)思い出すのですが、その印象としては「大らかで太っ腹な人」「優しい人」「常に人を喜ばせようとする人」「お洒落な人」等々です。
当時、先生は40歳でした。
今回は先生のお人柄が伝わるようなエピソードを、幾つかご紹介したいと思います。
<前置き>
この部分は恥ずかしくて、只今考え中ですので、後で追記にするかもしれません。
〇 いずみたく氏の紹介で、渡辺岳夫先生に突然の弟子入り
〇 困った履歴書
<渡辺先生のエピソード>
〇 直ぐに「一緒に仕事をしよう」と
先生は音楽には厳しい人ですが、人柄は非常に穏やかで太っ腹な性格ですから、直ぐに「一緒に仕事をしよう」と言うのです。
まともな音楽教育を受けていない「素人同然」の私に対してです。
ですから私は、「いえいえ、仕事はまだまだ早過ぎます」と言っては何度も断っていました。
ただ、テレビの仕事がある度に、実践勉強として「何曲か作ってごらん」と言われますから、テレビドラマの約40曲の内、私は3~5曲ほど作らせてもらいました。
池上季実子主演「愛と誠」、篠田三郎主演「若い先生」、大空真弓主演「銀心中」などです。
〇 理論を教えずに「盗め! 盗め!」と
先生は理論や音楽的な事を、あまり言葉で教えようとはせず、ただ「盗め、盗め」と言います。
ところが私は音大も出ていませんからアレンジが思うように出来ませんし、勉強不足で「盗む」ことも出来ません。
これには私の性格的な問題もあって、「コピーが苦手!」「人真似が大嫌い!」「盗むことも嫌だ!」という困った性分なのです。
〇「来年には作曲家としてデビューさせてあげるぞー!」と
或る時、先生は弟子入りしたばかりの私に対して、「来年には作曲家としてデビューさせてあげるぞー!」「みんな驚くぞー!」などと笑顔で言うのです。
素人同然の私は、例によって「いえいえ、まだ早過ぎます」と、困ったような嬉しいような、複雑な心境に・・・
兎に角、「人を喜ばせたい」「人を驚かせたい」という先生なのです。
〇 ベーシストの引退と御園座の芝居
渡辺先生と演奏家との信頼関係について、ちょっと思い出したことがありますので書いておきます。
先生のスタジオ録音では、大抵いつも同じ演奏家が来ていましたが、その中のベーシストが何かの事情で引退することになったのです。
その頃のことですが、確か御園座の芝居だったと思うのですが、スタジオ録音でその演奏を聴いてビックリしました!
録音スタジオは「青山アバコ」「早稲田アバコ」などをよく利用していましたが・・・
その時のメロディー楽器が何と! エレキ・ベースなのです!
ベースのパート譜には「リバーブ」と書いてありました!
リバーブをかけたベースが「ビンビン・ビンビン」と激しく鳴るようなメロディーでした。
エレキ・ベースが主役なのです。
演奏家の最後を飾る・・・演奏家の引退の花道というのでしょうか。
それも歌舞伎などをやる御園座の芝居で!
これには演奏家も、さぞかし喜んだことでしょう。
こんな事が臨機応変に出来る先生はスゴイな!と正直思いました。
余談ですが・・・
数年後、私がベースとアンプを購入する際に、その時のことを思い出して、楽器店の店員に「リバーブはかけられますか?」と聞くと、店員は「エレキ・ベースにリバーブはかけません」と言うのです。
「えっ?エレキ・ベースにリバーブをかけることは、ある筈ですが・・・」と私が言うと、今度は人を馬鹿にするような怒ったような顔で「エレキ・ベースにリバーブはかけません!」と繰り返すのです。
楽器やエフェクターについては良く分からなかったものですから、恥をかいたようなものですが、もしかすると先生は引退する演奏家の為に「常識的ではない、画期的なことをやったのではないだろうか!?」などと思ったものです。
〇 坂口良子主演「家なき子」と、天地茂主演「非常のライセンス」のこと
坂口良子さんという方は、テレビ画面では大柄で顔が大きく見えるのですが 、実際は小柄で顔も小さく非常に可愛いらしい人でした。
「サインはV」の大柄、若しくは中肉中背の体育会系イメージとは全く違いました。
主題歌の録音は夜中に行われ、歌の方は一番と二番を通して歌う事が出来ずに、別々に録音したものを貼り付けていました。
録音中の先生は、いつも通りの笑顔でにこやかに対応していましたが、正直言うと彼女の歌はあまりお上手と言う訳にはいきませんでした。
それで録音が終わって、先生と私が誰も居ない暗い廊下を二人で無言で歩いている時に、ふいに「これは売れないね!」と言うのです。
私も同感でしたが、「そうですね」と言う訳にはいきませんから、ただ「はあ」と気の抜けたような返事をして誤魔化しました。
主題歌の歌入れで、もう一つ思い出すのは「非情のライセンス」です。
天地茂さんの第一印象は、テレビ画面では颯爽としてかなり長身に見えるのですが、意外とそうでもないのかな?と感じました。
歌に関しては、先生は始終褒めて「上手いねえ」と何度も言っては非常に満足した様子で、録音も短時間に終わったように記憶しています。
〇 映画「きかんしゃやえもん D51の大冒険」の隠れた名曲
「きかんしゃやえもん」で思い出すのは、本物の機関車が雪の中を走るシーンがあって、この時のBGMに静かな曲が流れるのですが、これが実に素晴らしいのです。
スタジオのミキサー係の人も、映像を見ながら「これは岳夫さんの名曲だ!」 と大きな声で独り言を言っていました。
先生に「この映画の試写会があるのですか?」と聞くと、「一緒に行くか?」と言われましたので、「はい」と答えて先生のご家族と一緒に行くことになりました。
当日、先生のお宅にお邪魔すると、先生はまだ寝ていたらしく、奥様に「ソファで待っていて下さい」と言われて待っていたのですが・・・
そこへ3人のお子さんたちが、次々と小学校から帰って来られたのです。
男の子が一人と女の子が二人です。
その内の多分一番下の女の子が非常に愛嬌があって人懐こく、初対面なのにニコニコしながら私に近寄って来るのです。
私は先生のご自宅で非常に緊張していましたので、一言も声をかけてあげる事が出来ませんでした。
その後、先生のファルクス・ワーゲンに乗って、ご家族5人と私との6人で、東映の撮影所で試写会を見に行きました。
サントラ版が発売された時には、先ほどの「機関車が雪の中を走るシーン」のBGMだけを聞きたくて、LPレコードを購入したのですが、残念ながら歌だけのレコードでしたので、肝心のBGMは入っていませんでした。
因みに、その時に小学生だった息子さんは、現在「渡辺岳夫 音楽事務所」の社長さんになられているそうです。
<追記> 2025.10.06 「雪の中をD51が走るシーン」はコチラです。
↓
音楽:渡辺岳夫「機関車やえもん D51の大冒険」~「雪の中をD51が走るシーン」
〇 池上季実子主演「愛と誠」のこと
先ほども書きましたが、先生から「一緒に仕事をしよう」と言われても、その度に「まだ早いです」と言っては断っていましたが、実践勉強の為という事で何曲かは作らせてもらいました。
その中で私の曲がテレビ画面から何度も流れたのは「愛と誠」です。
このドラマは「暴力学園モノ」なのですが、暴力的な音楽など私には書けませんから、少しロマンティックな曲を書いたのです。
これが主人公の愛と、彼女に恋をする岩清水の二人が語り合うシーンでよく使われていました。
テレビ・ドラマを見ていて、私の曲がバックに流れた時には飛び上がるほど嬉しくて、後で先生にそれを報告するのですが、先生は「そうか! そうか!」と満面の笑みを浮かべて、本心で喜んでくれるのです。
この時の場面を You Tbe にUPしました。
今から考えれば非常にありがたく、また勿体無い話なのですが、私はアレンジが思うように出来ないことを苦痛に感じて、2年後には理論の勉強の為にJAZZの教室に通ようになり、先生からは離れてしまいました。
特に私の曲を木村好夫さんが真剣に演奏してくれているのを見た時には、「こんな音楽ではいけない!」と自己嫌悪に陥ったものでした。
〇 ギタリストの木村好夫さんのこと
先生は演奏家の方たちから「岳夫さん、岳夫さん」と呼ばれていました。
父親の作曲家・渡辺浦人氏と区別する為でもあるのでしょうが、スタジオの演奏家の方たちも先生に親しみや信頼感を抱いているような楽しい雰囲気だったのを覚えています。
或る時、テレビの歌番組を見ていると、美空ひばりさんが歌うバックで、木村好夫さんが一人でギターの伴奏をしているのです。
ソリストとしてのLPレコードも出していた木村好夫さんですが、スタジオ内では「岳夫さんだからやっているんだよ」などと言っていたことがありました。
〇 事務所の人が作曲を!?
先生の事務所の「三協新社」という名前の由来ですが、私の勝手な想像ではありますが、「三人で協力して」という意味だと思っていました。
というのも、事務所のMさんとKさんが、お二人とも父親の渡辺浦人氏のお弟子さんで、作曲家の道に進むのを諦めて、息子の渡辺岳夫先生の仕事をフォローするという役割を選んだのだと思っていたからです。
或る時、Mさんが次のような、意外な話をしてくれました。
「実は自分がアニメの音楽を担当させてもらったことがある」と。
「でも、その作品は殆ど先生が作ってくれたものだ」と。
後でそのアニメをテレビで見たのですが、確かに作曲家としてMさんの名前がテロップに流れていたのです。
なるほど、そうだったのですね。後になって色々と謎が解けて来ました。
Mさんは私が弟子入りした時に、「先生の言われるままに付いて行けば大丈夫。何とかなる」と言っていたのを思い出しました。
当時の私の困った性格は、「先生の言われるままに付いて行く」という事が素直に出来ずに、「未熟な状態で仕事はしたくない!」などと、頑なに思っていたのです。
もっと先生を信じて言われるままにしていれば、本当に翌年には私は作曲家としてデビューさせてもらう事が出来たのです。
先生にとっては、そんなことは容易い事だったのです。
当時の私には、それがよく分かりませんでした。
〇 マネージャーが作曲を!?
マネージャーのKさんの事も思い出しましたので、ついでに書いて置きます。
Kさんは運転手と写譜もやっていた人ですが、
或る時、録音スタジオでKさんの様子が、何時もとは違う事に気が付きました。
非常に明るく和やかで、何だかとても嬉しそうなのです。
何があったというのでしょう?
その日は何処かの企業の「社歌」の録音だったと思うのですが・・・
後になって知った事ですが、この社歌をマネージャーが作曲した事が分かりました。
なるほど! そうだったのか!
マネージャーは作曲家志望だった訳ですから、一生懸命に音楽の勉強をした筈です。
作曲家を諦める事は、非常に辛いことだった筈です。
先生はその気持ちを察したのでしょう。
Mさんに「アニメ」の作曲の仕事を受け持たせたのも、Kさんに「社歌」を作らせたのも、同じ理由からなのでしょう。
作曲を諦めた人たちに、作曲の仕事をさせたのです!!
「作曲の仕事の快感を味わわせてあげたい」「一度だけでも願いを叶えてあげたい」 という気持ちだったのではないでしょうか?
ですから、素人同然の私に対して「翌年には作曲家としてデビューさせてあげよう」と言ったのも現実味を帯びた話であって、先生にとっては容易い事だったのです。
当時の私としては、「早過ぎるデビュー」をして、一回だけの仕事をさせてもらっても、音楽の貯えがなければ後が続きませんから、基本を学ぶ為に先生の元を離れる事にしたのですが、そのような心配も全く無用だった訳です。
今回の話は、ここで締めたいと思います。
渡辺岳夫先生の「人を喜ばせたい心」「人を驚かせたい心」が少しでも伝わってくれると良いのですが。
今回はこんな話になってしまいました。
お退屈様 m(__)m
・
<追記> 2025.8.21
「愛と誠」(wikiより)
愛 :池上季実子
誠 :夏夕介
岩清水:中島久之
『愛と誠』は、原作:梶原一騎・作画:ながやす巧による日本の漫画(劇画)。
『週刊少年マガジン』にて1973年3・4合併号から1976年39号まで連載された。
1975年に講談社出版文化賞児童まんが部門を受賞。
累計部数は500万部を突破している。映画化・テレビドラマ化・ラジオドラマ化などもされている。
映画一作目の大ヒットによりテレビドラマ化がなされ、主役・愛役のオーディションで当時まだ15歳の池上季実子が選ばれた。
放映期間:1974年10月4日 - 1975年3月28日
映画版にはないケンカシーンの監修に梶原の実弟・真樹日佐夫を起用し、本格的な極真空手の動きを殺陣に取り入れた。
しかし、子供たちに悪影響を与えるとの抗議があり、さらにスタッフがギャラ未払いに対してストライキを行うという状況に陥ったため、半年で打ち切られた。

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